〔7〕感情
ほんの私の気まぐれで人を心配させ、おそらく落胆、嫌悪させてしまった。 そして後で私はそれを償うかのように態度を変えたのだけれど、 きっとあの人は怒ってしまったんだろうなぁと思う。あの人は大人だから態度には出さないけれど。
ほんの何気ない一言でなんともいえない悲しい気持ちになった。 きっとそれを発した人は私がそれで悲しむなんて思っていなくて、普通に自然と言ったんだと思う。 でも、その言葉はまるでその人が二度と戻ってこないかのようで。 二度と会えないんではないか、私のこと愛想つかしたんではないか、 と思わせるほどの威力のある言葉だった。私はにじんでくる涙を目の中に溜めてはこらえ、 泣きそうな事を気づかれないように手でそっと涙をふく。 あの人はほんの一日二日と言っていたけれど、気まぐれだからきっともっと長い間出ているだろう。そう考え出すとキリがなくて、一生あえないような気さえしてくるのだ。

毎日毎日、毎秒、私達の周りでは何かが生まれる。それは生命であったり、感情であったり。私達は常に怒りや悲しみ、喜びといった感情を生み出している。生み出した後もそれは消えることはなく、私たち自身の一部となって残る。そしてまた新しい感情を生み出すのだ。
地球は、地球はどこまでそれを支えつづけられるんだろう。どんどん重く、濃くなっていく私達をいつまで支えられるんだろう。感情はいつか飽和し、そして溢れすぎて爆発してしまったりするんだろうか。
刹那ごとに生まれていくいろんな物を地球が支えられなくなった時、その直前の地球はどんな感情を支えているんだろうか。それが悲しみでないといいなぁと思った。


〔6〕食事
いつからか食事の時間が来るのが憂鬱になってきた。食べる事は好きなんだけど、食べた後に生理痛かと思うほどの腹痛が私を襲う。その腹痛のせいで私は何もする事が出来なくなり、ただうずくまる事で痛みがマシになるまでをやり過ごす。「胃が弱ってるのかな。」最初はそう思っていたけど、こう毎日毎日痛むと何かの病気なんじゃないかと怖くなる。
私はお世辞にも痩せているとは言えない体型なので、何度となくダイエットを決意しては辞め、また決意という生活を繰り返していた。二、三年前は今より12キロほど痩せていて周りにも痩せてるねって言われていたんだよ。そうやって自分を慰め、逃げる。
何でこんなに食べる事を止められないのかと考えた。私には他に好きな事だってある。例えば漫画や小説を読んだり、ゲームをしたり、写真を撮ったり。でも、それは止めようと思えば止められる。今急いでやらなくても明日がある。そう思って中断ができる。が、食べ物は「今食べないと味が落ちる」とか「今食べなきゃ」と思わせる、惑わせる魔力がある。だから結局最後まで食べてしまう。
先週ぐらいにそんな事に気が付いたので、「今食べなくてもいつでも食べる事は出来るんだから。食べ物は逃げないんだ」というちょっぴり贅沢な考えをもってみる事にした。そうしたら途端に今までの食欲がみるみる減っていって、他人から見れば標準な程度にまで下がった。ただその分食事という物に楽しみを見出さなくなったのでもあるけれど。このまま調子よく体重落ちてくれれば良いのにな、そう思いながら痛む腹をさする。この食欲の低下と腹痛には何か関係があるんだろうか。

〔5〕空
外に出た時、私は必ず空を見上げる。明るい時は雲模様を見るために、暗くなってからは星を見るために。特に私は夜の空が好きだ。
別に星空を見て「これが○○座で、これが…」と言うのが好きなんじゃない。小学校の頃、塾でしょっちゅう星座が覚えられなくて居残りを命じられる程、星座が苦手だった。唯一見分けられるのは北斗七星とオリオン座ぐらい。
それでも冬に空を見上げてオリオン座を見つけると何故かほっとする。他の季節だって、光り輝く小さな点々をボーっと見上げるだけで癒される気がする。小さかった頃はあんなに空を見るのが嫌いだったのに。
視力の悪い私はよく母にベランダに連れ出され、10分間星を見つめろと言われた。なるべく遠くの物を見せて視力を上げさせようとしたらしい。この10分間が私は大嫌いだった。一人何もせずに星を見るだけ。第一、横浜で星を見ようにも、周りが明るすぎて見れるのは一等星ぐらい。一人鼻歌を歌いながら「早く終われ、早く終われ」と念じていたものだ。
その反動に、大きくなってから夜空が好きになった。未だに横浜の夜空は好きじゃない。東京の空なんて問題外。星の一つも見れやしないので、私は逆に憂鬱になってしまう。アメリカの田舎町に一年間住んでいたとき、何となく見上げたら今まで見た事も無い量の星が輝いていた。理科の教科書に載ってる星よりももっと一杯。今まで見てきたどの空よりも綺麗で、静かで、心が暖かくなっていく気がした。それからだ、私に空を見上げる癖がついたのは。
私の好きな映画の一つに7月7日晴れという映画がある。そこで女の子はラジオを聞いている人に電気を消すように頼む。星を見るために。ラジオを聞いていた人たちが次々と電気を消していき、女の子の願いどおり幾万もの星が東京に姿を見せた。
私にはその女の子のような影響力とかそういった物は無いけれど、でもいつか自分の町であの星空を見てみたいなぁと思う。昔この目で見た数え切れないぐらいの星々を。横浜でそんな星空を見るのは不可能だと私も思う。でも、いつかいつか皆が一斉に大きな星空を見たいと願ってくれたら。それで何となく自分の家の電気を消してみてくれたら。そうしたら見れるんだよな。やっぱり諦めきれないんである。

〔4〕文章
下に溜まっている文を読めば分かるんだろうが、私には文章力と呼ばれる物がさっぱり無い。「文章力?何それ?儲かるの?」といった感じだ。そして文章力がある人は作家やそういった方面の職を得、印税ガポガポ人生ばら色生活を送るんであると聞いた時、必至になって文章力を獲得するために文を書くまねをしたりいろんなサイトを読んだりしたもんだ。で、気づいちまったんである。向いてねえ。

そりゃ日本人に生まれたんだから、言葉を紡ぐ事ぐらいはできる。そこからが問題だ。それを人に理解させる事が出来るかどうか。1番の文を読んでもらいたい。意味がわからないと思う人が多いんだと思う。書いてる本人も理解できない糞文章。書いてる間は理解できていたんだが、今では不可能である。それは文章を書くときに、考えている事の100%を文章に変換していないからである。あの文は実際考えていた事の2割にも満たない。ただ考えている事全てを文章に変換出来るほど私は賢くないし、第一そうすると長すぎる。で考えている事を削り削り書いていったのだが、そうしたら理解し難い文章になってしまったのである。そう、私は考えを削っていく作業が下手なのである。書くべきところを削ってしまい、書かなくていい所を残してしまったために、分かりにくい文章が出来る。人々が渇望する文章力っていうのはこの「削る技術」なんではないだろうか。

1番と違って、3番のような物語を書くときはどうだろう。その時に求められる文章力は「削る技術」とは違う技術なんではないかと私は思う。私が物語を書くのをあまり好まない理由の一つに、結末が浮かばないというのがある。全体的なイメージは浮かんでるが結末が浮かばない。どうせなら、読者を驚かせたい。そういう事を考えると余計ありきたりな結末しか浮かばない。結局、私は結末を考えないまま物語を書き進めちまうのである。そして最後になって苦しみ、アドリブで結末を書く。そして前後の辻褄あわせに忙しくなる。私のような物語を書きなれていない人はこうなるんではないだろうか。私が好きな創作は前のほうで起こっていたどうでもいいような小さな出来事が後で大きな意味を為す、という物である。そういうものを読むと素直に「上手いなあ」と感心させられる。ただそれをするには文章を書き出す前に構成をきちんと考えておく必要がある。私が思う創作を書く時に必要とされる文章力はこの「構想力」である。矛盾だらけの物語なんて糞、小さな罠が途中途中にちりばめられた文が傑作なのである。

他にも自分の意見を公開する上での責任とか他にもいろんな物が文章を書くときに必要とされるんだが、それは略。またいつか書く事があるかもしれん。
で自分は上記した二つの物が欠如してるんである。だから向いてねえ、なんて意気消沈としたんであるが、じゃあ何でまだ文章を書いてるんだよ。カッコイイ糞文を書く奴らはここで「その答えを探すために文を書きつづけるのさ」と言うんであるが、お前ら全員死ね。大抵そういう奴が文章を書く本当の理由は「○○ってサイトに憧れて!(仲良くなって…ゲヘヘ)」とか「アクセス数がもたらす夢を!!楽園を!!」とかなんである。まあ、その理由に別に不満は無いんだが、だったら最初から正直にそう言えよ。ん、私?文章を書くのが下手なのに私が未だに文章を書いてしまってるのには、かなりたくさんの理由がある。
「今自分が思ってる事を忘れてしまわないように」
「どっかのサイトを読んでいたら何となくそういう文を書きたくなった(模倣欲求)」
「感想ほしい」
「他にする事無くて暇だし」
「っていうか一回文章書くようになるとやめられんのだよね」
「自分好きだから皆に見てもらいたいし」
「皆、私の下手な文章読んで、私を反面教師にするといいよ」

書き出すと止まんないんだよね。

〔3〕ジグソー
女にはひどく愛した男がいた。一方の男は女ほどではないが、女の事を愛していた。数年が経ち、女の誕生日、 男は女にジグソーパズルを渡した。そして女に別れを告げた。
 女は悲しみに打ちひしがれた。突然の別れに戸惑った。もう女は男に会う事がなくなってしまった。しかし女は男を愛する事をやめなかった。愛さない理由が無い、女はそう思った。綺麗な箱に入ったジグソーパズルは別れを思い出させるから、そんな理由で物置の奥の奥にしまわれた。
 一年後、再び女の誕生日が来た。女の友人達が女の為に誕生日を祝った。今まで友人に祝われる事などなかった女は、ひどく喜んだ。今まで男と愛し合う事に夢中で友人と呼ばれる類を作ってこなかった女は愛のほかにも大切なものを見つけた。
 友人達と別れた後、女はふと郵便受けを見た。手紙が一通。男からだった。開くべきか開かないべきか迷った。そして開けると誕生日カードが入っていた。そして一文。

一年前に僕が贈った物、君はそれから何かを得ましたか?

男が女に一年前贈った物。別れ。そこから何を得ただろう、女は考えた。友人ぐらいだろうか、男は何を伝えたかったのか?女には分からなかった。次の日は一日中男の事を考えていた。男の事だから何か他に意味があるんだろうか。
 日も暮れる頃、女は物置に一年前しまったものを思い出した。ジグソーパズルを取り出し、無心になって一つ一つのピースをつなげ始めた。そこに意味を求めて。そこに答えを求めて。3日経って、女はジグソーパズルを完成させた。ジグソーパズルの片隅にはウェブサイトのアドレスだと思われるものが書いてあった。女は再び答えを求めて、そのウェブサイトを開いてみた。
 そこには男の日記があった。日記しかなかった。ここ一年の日記は無かったが、それ以前は毎日書いていたようだ。女との楽しそうな日々が書いてあって、女はすこし照れた。じゃぁなんで別れようなんて、そう思い誕生日の月の日記を開いた。目を通した後、女は家を飛び出して男の家を目指した。ドアベルを押して待ったのだが、返答が無い。かぎも掛かっていなかった。ドアを開けると、男は寝ていた。
 女は男の名前を呼んだ。涙を流しながら男の名前を呼んだ。男の体をゆさぶり、叫ぶように男の名前を呼んだ。返答が無い。
 枕もとにはジグソーパズルがあった。男が大好きだったジグソーパズル。誕生日の時の物とは違って今度のパズルは9ピースしかなかった。女はパズルを繋げて、再び泣いた。

サキへ
アイシテル 

ごめんなさい、ごめんなさい、女はそう言った。お兄ちゃん、女は初めて男をそう呼んだ。

http://www.---.jp/---/diary.html
11月5日
今日は妹の誕生日だ。妹が記憶を無くしてから丁度2年が経った事になる。記憶を取り戻す事はあるんだろうか。俺を兄だと認識してくる日はいつ来るんだろうか。妹はそんな事も知らずに、俺の事を男として愛してしまった。俺以外には何も求めなくなった。そんな妹は放っておけないけど、このままじゃいけない。最近では俺まで妹を女として愛するようになってきた気がしてならない。
 今朝、病院へ行った。先々週に受けた検査の結果を聞きに。何だか小難しい病名を言われ、一年生きられれば運が良い方だという事を伝えられた。その時真っ先に頭に浮かんだのは妹の顔だった。俺が死んだらあいつは一人ぼっちになってしまう。頼れる人なんか一人もいない。今のままではいけない。
 俺は妹を離れたところで見守る事を決心した。俺が別れをつげて妹がどんなに苦しむかは分かっているが、いきなり死を告げられるよりはいくらかマシだろう。俺が死ぬまでに妹は愛以外の物を見つけなければいけない。俺なんかじゃなく、本当に妹が頼れる奴を妹は自分で探さなきゃいけないんだ。これから妹の誕生日を祝う。そして俺はさよならを言おう。愛してるよ、その言葉の代わりにさよならと言おう。

一年前、男が女に言った言葉を今度は女が男に言った。さようなら。男からの贈り物、そこから得た物を大事にしよう、そう思いながら女は男の家を去った。

〔2〕観察
deleted.

〔1〕性格・生き方
どうにも冷めたところが自分にあるのは昔から認めていた。それを嫌がっていた日もあったが、もしかしたら私は人生を達観しているタイプなのかもしれない、と思うようになった。つまり一つにのめりこまずに、常に一歩離れたところから全体を見ているタイプ、何事にも動じないタイプという事だろうか。達観しているなんて格好良いではないか。

自分の性格の良くないところは冷めてるが故に「どうでもいい」とか「なるようになれ」と思うところだろうか。いや、近頃ではその「どうでもいい、なるようになる」症でさえも良い事だと思うようになってきた。これを素晴らしく楽観的に解釈すれば何が起こってもたいした混乱も無く暮らす事が出来る(と考えている)という事ではないだろうか。確かにどんなに貧しくても富んでいても自分はそれなりに幸せに暮らす事が出来る自信がある。どんな職についたって自分は生きていけると自負している。自分に与えられた日々をそれなりに過ごす。なるようになれ主義、素晴らしいじゃないか。

ここまで思ってハっとする。自分に足りないものが見えた。野心が足りないんだ。景気は良好とはいえないまでも、戦後と比べれば明らかに生活水準の上がった今のご時世。そんな時に一般家庭に生まれた自分。そう、上に上がってやろうという野心が足りない。近頃の私の夢なんて「大学行って仕事持って普通に暮らしたい」である。世間が持っている一般家庭という絵、そのまんまに生きていきたいのである。
ただその野心が欠けている事に何ら問題点を見出さないので、私は今までどおり「なるようになれ」と思いながら生きていくのである。先ほど言ったような夢を持ってはいるのだが、別に就職できなくてもいいし、結婚できなくてもいい。就職できなければアルバイトで死ぬほど働けばいいし、結婚は元からそんなにしたいとも思っていない。情熱というのが無いのは自分でもどうしようもない。お手上げである。ここまで読んだ人には分かるだろうが、自分は自分の性格を問題視していないのである。極めてどうでもいい。たまに自分の性格の悪さ・つまらなさ加減に反吐が出るものの、そんなの自分のせいではない。性格なんて環境によって形成されるのだから。むしろお前らが何とか私の性格を改善しろ、とまで思ってしまうのだからどうしようもない。
私は今日も何ら変わらずにそれなりに一日を過ごす。何か変化があれば何事も無かったかのようにそれを処理し、何も変化がなければそのまま直進する。自分の今の行き方は人生の先輩方から見れば「そんなのは駄目だ。もっと向上心を持て。もっと真剣に考えろ」と思われるんだろうが(実際そう言われた事もある)、それでも私は気にせずわが道を行くんである。
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